ジャコメッティ
モデルになった、男性の目線で描いた映画。
作家は、制作中、厳しいから、何回でも、やり直す。
でも、モデルは、アメリカに帰らなければならないので、何時までも付き合えない。
それで、完成をモデルが切っ掛けをつくり、作家の弟に誉めさせて、おわらせる。
そうした
制作中のはなしだが、わたしには、気持ちが、よくわかる。
どこで、完成なのか?
訴えるものがあるのか?
創っていく本人には、解らない。
だから、納得する点が、決められない。
いつまでだって、やっていられる。
傑作かどうかなんて、第三者が、後になってから、決めることだ。
セザンヌの妻は、リンゴと一緒にされた、と、怒っていたそうだ。
ジャコメッティは、モデルに敬意を払っているが。
もう一度、やってほしいと、手紙にかいた。
しかし、モデルは、もう懲りただろう。
可笑しい映画だった。
こうした、画家の話は、あまり、映画にない。
観客にとっては、興味は、ないから。
笑っちゃうのは、わたしが、作家だからだろう。
案外、金持ちで、モデル料を、沢山払いたがったのも、おかしい。
人と、金銭価値が違うのだ。
そんなに払わなくて良いと、断られていた。
芸術に関心のない ポン引きだから、受け取らなかった。
モデルやるのも、結構つかれるのに。