卒業してから、50年きねんで、式典をやるそうです。
野沢北高校時代は、吹奏楽はんで、打楽器をやっていました。
美大を目指すことにしたので、辞めて、美術班に途中から、入りました。
デッサンが嫌いだったので、美大は、諦めて、入れる大学をさがして、明治学院大学に入りました。
画家にはなれないだろうと思っていたので、わすれていた。
三岸節子を見て、画家が夢だったのをおもいだした。
それから、描きはじめて、個展をやったり、活動をはじめたのは、人生の半分をすぎてからです。
芸術は、実用せいはないので、世の中から、 理解されにくく、なかなか、難しい。
卒業生のなかで、画家は、私と、もう一人しかいないことでもわかります。